2008年4月1日火曜日

花冷えの光が丘

花冷えとはよく言ったもので、桜が咲くと急に寒い日がやってきます。



今日は途中で霙も降ったりで、外気温はなんと6度。



冬に戻ったような寒さです。



午前中に退居立会いに行った光が丘公園で「桜のトンネル」を一枚。



一気に冷えたのでもう暫く桜が楽しめるかもしれません。



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2008年3月31日月曜日

練馬区内「桜の名所」

0008地球温暖化の影響で開花が年々早くなり、その昔はお花見の席取りは新入社員の役目であったはずが、新入社員が入る前の年度末に咲いてしまいます。



我々業界では異動期とも重なり一年で一番の繁忙期、桜の名所へ出向いている時間が無いのも原因のひとつですが、「原点に立ち返って地元を見直そう!」と言うことで、今年の桜祭りは「地元」がテーマです。

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2008年3月30日日曜日

練馬区お花見散歩マップ

1_22~3日前の新聞に「練馬区でお花見散歩まっぷを無償配布」という記事を目にし、昨日区役所に寄った際に案内所で貰ってきました。



ポケットに入るよう小さく折りたたまれたリーフレットです。



裏面にはQRコードとパソコン用のURLも記されており、リーフレットの内容がそのままウェブサイトにも掲載されています。



Aコース白子川沿いの「カタクリコース」(約2キロ)から始まり、Bコースは春日町からの「光が丘コース」(約4キロ)、Cコースは板橋区に近い「城北中央公園コース」(約5キロ)、Dコース「武蔵関公園コース」(約5キロ)、最後にEコース「石神井公園コース」(約4.5キロ)と全部で五つのコースが紹介されています。



いずれ劣らぬ桜の名コースとなっています。



今日はすでに満開、見頃はあと少しですので各コースを回ってみては如何でしょうか。



2携帯サイトにはリーフレットと同じく以下の情報が掲載されていました。



  1. 1.春のお花見ポイントめぐりとは


  2. 2.練馬区お花見開花情報チェック


  3. 3.お花見散歩コース紹介


  4. 4.お花見散歩キャンペーン応募方法


  5. 5.ねりまのオンリーワン&ナンバーワン


  6. 6.お問合せ




桜のトンネルは、練馬区お花見散歩まっぷのBコース「光が丘コース」の一部です。



最近の練馬区って頑張ってますね。



桜のトンネル

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都営大江戸線の春日町駅から光が丘公園に続く道路沿いはご覧のように桜のトンネルが続き、満開の桜を観賞しながら走るためにちょっとした渋滞となっていました。



2008年3月28日金曜日

練馬区役所周辺の桜

2_2ついに満開となった桜ですが、練馬区役所周辺にも結構見所はありました。



通称:タコ公園と言われる区立豊玉公園、練馬公民館、学田公園、南蔵院etc・・・



スライドショーを作りましたので、暫し見に行ったつもりでご覧ください。











※ダブルクリックでご覧ください。







2008年3月27日木曜日

そろそろ八分咲き

Photo_5寒かったり暖かかったり、この時期は「一雨ごとの暖かさ」と言うように、雨が降って寒く、晴れて暖かくの繰り返しです。



今日はカラリと晴れ、気温も20度ぐらいまで上がり、桜も待ってましたとばかりに一気に八分咲きとなりました。



今日は練馬区の不動産取引事前相談所勤務の日でしたので、夕方勤務が終わってから練馬区内の公園と桜の名所千川通りでパチリ。



夕方だったのであまり綺麗ではないですが、明日・明後日ぐらいが丁度見頃のようです。



いよいよ春ですね。



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2008年3月23日日曜日

懐かしの日本アルペンラリーを語る会

Photo_2今日の午後3時から、芝公園脇の東京プリンスホテルにて「懐かしの日本アルペンラリーを語る会」が開催されました。



日本アルペンラリーは、第1回の1959年大会から最後となる1976年の第18会大会まで、日本最大級のラリーイベントとして開始されました。



ラリー競技はその当時からかなり開催されていましたが、その規模・参加者・走行距離・行程・スケール全てが日本最大のラリー競技だったと思います。



Photo_3普通のラリー競技は土曜日にスタートし、日曜日の朝方ゴールするような週末の休みを利用して参加できるような大会が殆どでしたが、このアルペンラリーは全くの別格で、一泊の宿泊で4日間2,000kmを走破しようという日本で初めての大イベントだったのです。



私は1970年代に実はラリーに参加していたのですが、当時は日産プリンス東京販売のサラリーマン。
資金は潤沢ではなく、会社を休む訳にも行かずアルペンラリーには参加できないでいましたが、意を決して参加したのが第17会大会でした。
それまではオフィシャルとして競技に裏側から参加していましたが、競技者として参加したのはこの大会が初です。



4日間で2,000kmを走る訳ですから会社も休まなくてはならない、タイヤも何セットか用意しなければならない。
サポートクルーも友達に頼んで準備しなければならない。
壊れたときの修理用のパーツや、タイヤも準備が必要。



資金のみならず時間も取れないと参加できない本当に日本で一番の大会だったのです。



Photo_4スケールは違いますが、サファリラリーやパリ・ダカールラリーを小さくした物だとイメージしていただけると何となく理解できるかと思います。



今日は当時の自動車情報誌の記事や記録の写真集・ビデオなどが上映され、参加した競技者・スタッフ・マスコミ・ファン約2百数十名が古き良き時代にタイムスリップしました。



この中では私はまだまだ若手の方で、第1回の参加者の方は約50年前ですからこの場に参加していただいたことだけで素晴らしい事です。



Photo_5今日の参加者には記念プレートが渡され、30年ぶり以上の久しぶりに顔を合わせる人達も顔と名前が合致するような配慮がなされていました。
私が頂き、会の最中に首から提げていたのはこのプレートです。



日本アルペンラリーは私が参加した第17会大会で不幸な事故が発生し、オフィシャルの方3名が亡くなるというとても悲しい事になりました。



事故の事がテレビ放映されたりしたこともあり、競技は途中で中断。
それまでの成績で競技が成立したのですが、後味の良くない大会となりました。



翌年に第18回が開催されましたが、悲惨な事故を受けて参加者も激減し、結局第18回大会を持って日本アルペンラリーの歴史が幕を閉じました。



それから25年。
アルペンラリーは日本初の国際格式ラリーに形を変え、2001年5月に第19回大会として復活しました。
その翌年にも第20回大会として開催されています。



これが現在のWRC(世界ラリー選手権)ラリージャパンへと繋がっていったのです。



歴史って凄いですね!



僕自身ラリーをやめてから30年の月日が流れ、今日会った人達も30年ぶり以上の方々ばかりです。



あらためて昔の仲間に感動した一日でした。