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2011年9月10日土曜日

永年親しんだ豊島園が無くなってしまう。

練馬区民にとっては、いやいや東京都民なら一度は行ったことがあるであろう豊島園遊園地。



夏になると毎年楽しみにしていた週末土曜日の花火。

仕事を早めに切り上げ、シャワーを浴び、枝豆とビールを用意してベランダから花火を楽しむ、そんな夏の楽しみも2004年を最後に中止となり、とても寂しく感じていました。





Img_1517068_62177319_0 豊島園と言えば一番の思いでは「ウォーターシュート」。

1927年に営業用としては豊島園が日本で初めて導入しました。

水面につく直前、船首に乗った船頭さん?が大きく飛び上がり、そのかっこよさにあこがれて将来はウォーターシュートの船頭さんになりたいと思ったぐらいです。

このウォーターシュートは日本上陸から102年経った2005年、最後まで営業を続けていた八景島シーパラダイスを最後に姿を消しました。



その後、流れるプールやハイドロポリスやツイン型フライングパイレーツなど、世界初や日本初のものが多々ありました。



小・中・高の頃、夏になると友人たちと毎週のように流れるプールのある豊島園へ行ったものです。





豊島園買収 海外からのエンターティナーを招いての各種イベントも数多く開催され、桜の頃のビヤガーデンや夏の夜を涼む緑のビヤガーデンなど、楽しい思い出は一杯あります。



そんな豊島園が東京都に買収され、都立公園として生まれ変わるという事が今朝の新聞に小さくですが掲載されていました。



寂しい出来事ですが業界を問わず、小さいけれど一生懸命頑張ってきた者たちが力尽きてその歩みを止めてしまうことには少なからず悲哀を感じます。



大きくなくては生きて行けない時代、こんな時代で良いのかな?

小さいけれども頑張っている人達が報われる時代はもう来ない?



2011年8月10日水曜日

エスカレーターの一列乗車は是か非か?

いつから?誰が?始めたのか、地下鉄などの駅ではエスカレーターに一列乗車し、右側は急ぐ人が歩いて登れるように空ける習慣が定着してしまった。



確かに朝のラッシュ時などは右側を歩いて登る人がかなり多く、歩かずに二列乗車するより効率は良さそうだ。



しかし、ラッシュ時以外は右側を登る人が殆どおらず、左一列に並ぶ人で大渋滞。



非常に効率が悪い。



かといって右側に乗ると後ろから来た人に「邪魔だ!どけ!」とばかりに後ろを突かれ、やむなく歩き出さなくては喧嘩になりそうなシーンを目にすることも多々有る。



かなりの数の方がこの一列乗車の習慣を「悪しき習慣」と感じている事だろう。



しかし、律儀でまじめな日本人はある意味融通が利かないところもあり、混んでいる時は「左一列で右側は歩き専用」、空いている時は「歩かずに二列乗車」と臨機応変に対応することは難しいのであろう。



そうなると・・・・



公共の場での話なので、設置者側が「もう少し効率よく運用出来る策」を考えて欲しいと思いながら、日々エスカレーターを利用しています。



素朴な疑問でした。



2010年11月21日日曜日

二の酉

昨日は二の酉


練馬駅南口は平日というのにお酉様に訪れる人で一日中ごった返していました。


私は午後9時近くになってしまったのですが、大鳥神社の境内に参拝しに入ったのですがこの時間帯でも人だらけ。


熊手はもう売り切れ状態でした。


最後は神頼み!


商売人のみならず、サラリーマンの方々も験を担いで熊手を買っていくのでしょう。


地元で商売をしている方々は、ごっそりとお金をかき集めようと特に大きな熊手を購入していくようです。




  • 酉の市001

  • 酉の市002

  • 酉の市003


酉の市003


 


 



2010年8月2日月曜日

日本の教育制度・法整備、本当にこれで良いのか?

最近ちょっと疑問というか、矛盾を感じていることがあります。


不動産業を営んでいると顧客の繁栄・衰退が見えるだけではなく、現代社会の矛盾と歪みも実によく見えてきます。


学校で先生が生徒を叱ると「やり過ぎ」といって先生が処罰され、学校内をある意味統率しているガキ大将に対しては、「いじめ」の一言で学校側やPTAから排除される。


その結果、無菌培養されたエリートが世に出る訳なのですが、実社会はそんなに甘くは無く、特にアメリカナイズされた日本の実業界では完全な実力主義、つまり「強い者が勝つ」構造が出来ているわけです。


その実社会に無菌培養のエリートが放たれたら、まず最初に感じるのは「挫折感」かも知れませんね!


社会はそれほど甘くは無いし、力の無い者は会社にも有益ではないので優遇されない。


挫折を感じたエリートは犯罪に走り、あるいは限界を感じて自殺。


社会を構成する我々経験者がもう少し実体験をしっかり語り、きれい事で済まさず、「良い物は良い」・「悪い物は悪い」とはっきり言える世界でないと日本の将来はちょっと厳しく、世界の競争には生残れないような気がします。


弱者を保護することはとても大事なことだけれど、過保護は「守る側・守られる側」双方にとって決して最善の方法では無いかも知れません。


小学校・中学校・高校・大学と、学歴を重ねて来る若者に、学問だけでは無く、実社会の厳しさを早い時期から学ばせる方が私は良いような気がします。


賛否両論有るでしょうが、実社会に出て初めて体験するよりは、小学校・中学校の義務教育の中で、実社会で生きるための実践教育が有った方が良いのではないでしょうか?


文科省のお役人の方々、机の上では無く、実社会の状況をもう少し把握し、5年後・10年後・更には50年後の日本をしっかりイメージして政策を練っていただきたいと心底感じています。


政権与党「民主党」しっかり頼みますよ!



2010年7月18日日曜日

定期借地借家権プランナー資格認定講座

特定非営利活動法人「首都圏定期借地借家権推進機構」が主催し、新宿の工学院大学で開催された『定期借地借家権プランナー資格認定講座』に参加して来ました。


今日と明日の二日間に渡って開催されますが、今日はその初日です。
二日間受講した者には「定借プランナー認定証書」と「認定カード」が交付される予定です。





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  • 定借セミナー


定借セミナー

特に定期借家権の創設に係わった吉田修平弁護士の定期借家権創設の裏話には大変興味を持ち、私の仕事にも直結する定期借家創設に至った背景がよく理解できました。


定期借地権や定期借家権が創設された事情を理解すればする程、日本の借地借家法がいびつに歪んでいることがクローズアップされてきます。


日本の借地借家はその昔、期限が来たら契約が終了する「定期借家」でしたが、1939年制定の「地代家賃統制令」の実効性を確保するため、緊急避難的に1941年に借家法を改正。
戦争にあたり国家を守るためという大義名分の元、正当事由が無くては貸主から契約を終了出来ない現行の「普通賃貸借」へと形が歪んでしまいました。
これは日本だけの特殊な法制度で、アメリカなどでは契約期間が終了しても出ていかないと、警察が介入して来ます。(借りたものは必ず返すという原則に則っています)


吉田弁護士も力説していましたが、「貸し借りの契約は借りたら返すのが原則」。
レンタルビデオは借りた期間が過ぎたら返さなければならないという話しを例にしていましたが、現行法での普通賃貸借は、借主からの契約解除は可能でも、貸主からの解約は実質的に不可能となり、契約期限が過ぎても返さなくて良いという日本だけの歪んだ法律となってしまいました。


国家の存亡に係わる戦争等の非常事態ではある程度のことは仕方ないでしょうが、戦後65年も経っているのに未だに戦争当時の法律が適用されているのはどうかと思います。


普通賃貸借と命名されていても、契約期間到来と共に契約を終了出来ないとなると、「これは普通とは呼べない」という吉田弁護士の話しに私も同感です。
普通じゃない賃貸借と命名したくなりますが、消費者保護法も加わって過剰に賃借人(消費者)を保護し過ぎると、結果として賃貸人(事業者側)も利益追求のために消費者にとって不利益となるような行動に出ます。


過剰な一時金を要求したり、昨今有るように高額な更新料を要求したり、多額な敷引きを強要したりといった具合です。


正当事由名目での高額な立退料を無くし、欧米並に契約を終了させることが出来れば、その分の出費を抑えられ、過剰な賃料の上乗せや高額な一時金を要求する必要もなく、賃借人にとっても良い効果が出てくるはずです。


俗に定期借家権と呼ばれていますが、定期借家権創設時の正式名称は『良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法』です。


要するに定期借家権の創設によって貸渋りが無くなり、快適な住宅がより多く供給されて賃借人にとっても良質な住宅が安く借りられるというメリットが生れます。


しかし・・・・現実は非常に厳しく、平成19年7月に国土交通省が発表した調査結果では、賃貸住宅の定期借家普及率は5%と低く、あまり利用されていないのが現状です。


当社では、賃貸契約の内約9割が定期借家契約となっており、定期借家創設前からの契約以外は殆どが定期借家を利用して契約しています。


賃借人にとってはグレードの高い質の良い住宅を相場より安く借りられ、賃貸人にとっても多少賃料が低くなるとは言っても、不良入居者の排除や建替え等の場合の立退き費用の負担減等、総合的に見ると決して損する話しではありません。


定期借家の創設当社、「平成16年を目処に見直し」となっていたものが見直しされず、不動産会社にとっては「作業量が多く使いにくく」貸主にとっては賃料が低くなると言うデメリット部分のみが強調されているのでしょう。


一刻も早く制度を見直し、利用しやすい制度として広く普及することを期待します。



2008年10月14日火曜日

囲われた街、「ゲーテッド・コミュニティー」

今朝の朝日新聞一面トップを飾った記事は、ゲーテッド・コミュニティーでした。
ゲーテッド・コミュニティーという言葉が初めての型はWikipediaの記事をご参照下さい。



日本も収入格差がかなり広がり、富裕層といわれる一部の人たちだけのクローズドコミュニティーが必要になってきたのでしょうか?



ゲーテッド・コミュニティーの是非は別として、日本でもいよいよ本格的に普及する時代が来たようです。



元々はアメリカしかもサンフランシスコやカリフォルニアなどの富裕層が多く済む地域で一般人とは別世界を街ごと創造して普及してきました。



街そのものに入るのにゲートを通る訳です。
城壁で守られた中世のお城のようなものです。



1980年代ぐらいから広がり始め、新聞記事によると当時で2万ヶ所800万人程度だったものが、2006年には5万ヶ所で2000万人規模にまで拡大しているようです。



「富裕層がゲーテッドに済むのは世界標準」ということで、日本も世界標準になってきたということでしょう。



ちなみに20年ほど前に分譲された日赤跡地の広尾ガーデンヒルズは、その当時から3棟(全体では全15棟)は別格のゲーテッド仕様になっていたようです。



価格が落ちない広尾ガーデンヒルズの中でも、ゲーテッドのこの3棟は高い上昇率を示し、ヴィンテージマンションの象徴のような存在になっています。



余談ですが、アメリカでは金持ちが集まるとその街は財政が豊かになり、警察官の数も増えて治安が良くなり、治安が良くなると更に人が集まるといった好循環サイクルが出来上がります。
その一方で、近くにマイナス要素の施設が出来た途端に人口が減り、財政が困難になり警察官の数が減り、治安が悪くなる。
こうなるとスラム化してますます街の雰囲気が悪くなります。



日本人はその土地土地に根ざすのですが、欧米人は土地ではなく街に根ざすようで、土地というものへの執着心は日本人とはちょっと違っているような気がします。



だからこそ欧米人には別格の「街」が必要なのでしょう。



2008年7月15日火曜日

お箸の文化を大切にしよう

欧米人種は肉食で食事に使うのは「ナイフとフォーク」、アジア方面の人種は菜食で、使うのはお箸。



日本人は子供の頃からお箸を使い、私もおばあちゃんに小豆をお箸でつまむ練習をよくさせられたものでした。



最近テレビ等を見ていて気になるのはお箸の使い方がちょっと酷くなってしまったこと。



グルメで知られる著名な芸能人が頻繁に料理番組や旅番組に出て来るのですが、意外と正しいお箸の使い方をしている人が少ない。



テレビドラマを見ていても、誰でも知っている大物タレントもお箸がクロスしてしまい上手に使えない。



これを見ている子供たちは、いくら親やおばあちゃんから教えられても、著名な方々の仕草を見ていたら親の言うことなど聞かないでしょう。



テレビなどでマスコミに登場する方々は、その一挙手一投足全てが見ている人に影響を与えると言うことを再認識していただけたらと思います。



番組を創る側の方々も、タレントさんたちの行動がいろいろな面で影響力が大きいことを、もう一度再認識し、注意する勇気と気配りが必要でしょう。



私の知っている日本で暮らす欧米人の方々は、皆さんお箸の使い方が日本人より上手ですよ。



何故でしょう?



それは日本の文化に親しもうと、最初にきちんとした使い方を教わったからなのです。



今の子供たちは親やおばあちゃんからお箸の使い方を習わなくなっちゃいましたよね。
と言うより教えなくなっちゃったのかな?



正しい使い方でなくても食事は出来るから大丈夫!
そう思っているのでしょうか?



こういった小さな事から各国固有の文化が薄れていくのは寂しい気がします。



2008年7月7日月曜日

チーム・マイナス6%

明日から洞爺湖でサミットも開催され、地球温暖化対策も話し合われることでしょう。



先日テレビであるパイロットの人が撮り続けたグリーンランドの写真を紹介していました。



2~3年前までは一面氷の世界だったグリーンランドが、ここ1~2年の間に読んで字のごとく、緑一面のグリーンランドになっていました。



ここまで地球温暖化の影響が表面化している以上、次の世代また次の世代に何が出来るのか真剣に考えなければならない時代となってきました。



もう他人事とは言っていられない状態です。



Banner_square_2 かといって一個人では何か大きな事が出来る訳ではなく、小さな事から何かやろうと思い、「チーム・マイナス6%」に参加しました。



チーム員ナンバー「20450394」にて会員登録がなされました。



すでにチーム員参加を表明した個人が2,307,685人。法人が21,975社です。
私が先ほど宣言したので個人はプラス1です。



「温室効果ガス排出量の1990年比6%削減」をうたってスタートした企画なのに、逆に6.2%増えてしまったようです。



約束達成まであと1729日。
みんなで少しづつ協力しましょう。



まずはこの季節、エアコンの温度設定28度からスタート。



2008年3月23日日曜日

懐かしの日本アルペンラリーを語る会

Photo_2今日の午後3時から、芝公園脇の東京プリンスホテルにて「懐かしの日本アルペンラリーを語る会」が開催されました。



日本アルペンラリーは、第1回の1959年大会から最後となる1976年の第18会大会まで、日本最大級のラリーイベントとして開始されました。



ラリー競技はその当時からかなり開催されていましたが、その規模・参加者・走行距離・行程・スケール全てが日本最大のラリー競技だったと思います。



Photo_3普通のラリー競技は土曜日にスタートし、日曜日の朝方ゴールするような週末の休みを利用して参加できるような大会が殆どでしたが、このアルペンラリーは全くの別格で、一泊の宿泊で4日間2,000kmを走破しようという日本で初めての大イベントだったのです。



私は1970年代に実はラリーに参加していたのですが、当時は日産プリンス東京販売のサラリーマン。
資金は潤沢ではなく、会社を休む訳にも行かずアルペンラリーには参加できないでいましたが、意を決して参加したのが第17会大会でした。
それまではオフィシャルとして競技に裏側から参加していましたが、競技者として参加したのはこの大会が初です。



4日間で2,000kmを走る訳ですから会社も休まなくてはならない、タイヤも何セットか用意しなければならない。
サポートクルーも友達に頼んで準備しなければならない。
壊れたときの修理用のパーツや、タイヤも準備が必要。



資金のみならず時間も取れないと参加できない本当に日本で一番の大会だったのです。



Photo_4スケールは違いますが、サファリラリーやパリ・ダカールラリーを小さくした物だとイメージしていただけると何となく理解できるかと思います。



今日は当時の自動車情報誌の記事や記録の写真集・ビデオなどが上映され、参加した競技者・スタッフ・マスコミ・ファン約2百数十名が古き良き時代にタイムスリップしました。



この中では私はまだまだ若手の方で、第1回の参加者の方は約50年前ですからこの場に参加していただいたことだけで素晴らしい事です。



Photo_5今日の参加者には記念プレートが渡され、30年ぶり以上の久しぶりに顔を合わせる人達も顔と名前が合致するような配慮がなされていました。
私が頂き、会の最中に首から提げていたのはこのプレートです。



日本アルペンラリーは私が参加した第17会大会で不幸な事故が発生し、オフィシャルの方3名が亡くなるというとても悲しい事になりました。



事故の事がテレビ放映されたりしたこともあり、競技は途中で中断。
それまでの成績で競技が成立したのですが、後味の良くない大会となりました。



翌年に第18回が開催されましたが、悲惨な事故を受けて参加者も激減し、結局第18回大会を持って日本アルペンラリーの歴史が幕を閉じました。



それから25年。
アルペンラリーは日本初の国際格式ラリーに形を変え、2001年5月に第19回大会として復活しました。
その翌年にも第20回大会として開催されています。



これが現在のWRC(世界ラリー選手権)ラリージャパンへと繋がっていったのです。



歴史って凄いですね!



僕自身ラリーをやめてから30年の月日が流れ、今日会った人達も30年ぶり以上の方々ばかりです。



あらためて昔の仲間に感動した一日でした。



2007年12月2日日曜日

追悼ミサ

今日、白金の聖心女子学院で行われた追悼ミサに列席してきました。
私の学生時代の友人の奥さまの追悼ミサでした。



私はクリスチャンでは無いですが、カトリック系の学校で育ったため小学校の頃はよく教会でのミサに参加していた記憶があります。



しかし、親戚や友人関係・仕事関係などで法事があっても、教会での葬儀は日本人の多くはあまり経験したことが無いでしょう。



私も少ししか参加した経験がありません。



馴れもあるのでしょうが、お寺での法事の場合はそれほど緊張しません。
しかし、教会の場合は入口を入った途端、何か今までに無い空気感を感じ緊張します。



それがなんとも言えない荘厳な雰囲気となり、信者の方々と一緒に最後は讃美歌を歌っていました。



少しでも私しながらの追悼の意を込めて・・・



聖心女子学院は美智子皇后が通われていた学校ということで有名になり、伝統と歴史のうえに名声が加ってちょっと別格な雰囲気を持った学校です。



私の母と妹の母校でもあり、その昔は良く行きましたが今日は実に30数年ぶり。
久しぶりに訪れても聖心女子学院の雰囲気は歴史のまま変わっていませんでした。



新しいこと・変化することがいいネットの世界と相対し、歴史を大事にし、時代が変化しても変わらないことの素晴らしさ、変わらないことの大事さを教えていただいた一日でした。



2006年5月3日水曜日

ナイフ&フォークの文化とお箸の文化

昨日も書いた狩猟民族と農耕民族の話の続きです。



欧米人は肉食獣、爪と牙(ナイフとフォーク)で肉を裂いて食い、日本人は鳥のようにクチバシ(お箸)で穀物をつついて食べる。 そんな食文化から、欧米人の腸は短く、食物繊維の多い食生活の日本人は消化の関係から腸が長い。



この違いを無視して欧米人並みの食生活を続けると、成人病というその結果が待っています。昔ながらの食生活が日本人には一番マッチしていると思うのは私だけでしょうか?



狩猟民族は獲物が捕れるまで、何も食わずに移動を続けるだけの体力が必要。
一方の農耕民族は農作業が終わると家に帰って眠り、旅をする体力は必要無いために一日の持続力だけ有ればOK。



最近では食生活の変化や栄養剤の進化などで、スポーツ選手は欧米人並みの体力を持つようになっていますが、技術的には勝っていても体力的にはまだまだ差が有ります。
これも昔からの食生活が人種の特徴を作ってきた結果です。



欧米人並みになる方が良いか?
従来からの日本人独特の食文化が良いか?



さてさてどちら?