2007年2月14日水曜日

平成18年度第2回支部研修会

このところ宅建練馬区支部では次年度の事業計画策定のための予算委員会が連日開催されています。



今日は午前11時から支部運営にとってとても大事な財務委員会が開催されました。
財務委員会自体の事業計画や予算計画は守りの委員会だけに新しいことは何もありませんが、順次開かれている各委員会の事業計画と予算案が出揃ってから財務委員会は忙しくなります。
今日は嵐の前の静けさといった委員会です。



Hi380005_3 その後、午後1時からは平成18年度第2回目の支部研修会が開催されました。
業法で定められている法定研修会は年に4回。
その内各支部主催が年2回で、本部主催が年2回となります。



今日の研修会テーマ1は、昨年1月に私も参加した海外不動産事情視察の2回目が昨年12月に実施されましたのでその報告です。



前回に引き続き2回とも参加された豊島区支部 指導研修委員長 坂下満氏 と、本部事務局から視察に参加した福田明彦氏を招いて行われました。



正直なところ私が参加した第1回目の視察で見てきたことと大きく違った点もいくつかあり、1回だけ行ってこれが正しいと思うと錯覚してしまうような事もあります。



アメリカという国は本音と建て前がはっきりしているだけに、第1回目では建前の部分しか見えなかったのかもしれません。



Photo_38 絶えず戦って、絶えず混乱して、切磋琢磨して成長しているアメリカのパワーは、良し悪ししは別として見習う部分も多々あります。
特にMLS(Multiple Listing Service)の進化には驚かされたのですが、私が視察に行った昨年1月には噂にもなっていなかった携帯電話を使った検索及び登録システムが構築され、オフィスでしかできなかった物件検索が移動中・案内中でも携帯電話出来るようになっていました。
しかも物件データは日本のレインズとは比較にならないほどの情報量があります。



取引事例ひとつを取ってみても、日本のレインズは物件所在地・面積・取引成立の日と価格ぐらいしかデータとして読めないのですが、アメリカのMLSは所在地・面積・価格はもちろん、その物件の履歴(取引年月・購入時利用したローンの額・売却したときの価格etc)戸籍謄本のようにその物件の過去の事例が手に取るように判ります。



アメリカではその様に詳細なデータを入手することが出来るのに何で日本のレインズでは出来ないのか?
個人情報は日本よりもアメリカの方が厳しく管理されているはずなのに何故?



ここにはアメリカと日本の免許制度の違いがあるようです。
日本では不動産会社を営業する場合、5人に1人の取引主任者がいれば不動産会社として営業できます。
経営者に例え資格が無くても、資格の資格のある社員を1人雇えば、5人の会社が出来上がる事になるのですが、アメリカでは経営者を含む全員が有資格者でないと営業できない仕組みになっています。



前述のMLSのデータにアクセスできるのも資格を持った人のみですので、いつ誰がどの情報にアクセスしたかはログによって一目瞭然。
当然のことながら資格がなければ仕事が出来ないのでルール違反を犯すものは極端に少なくなります。
一方の日本では有資格者は5人に1人しか存在せず、8割の人は無資格者。
レインズのデータにも1社にひとつのID・パスワードしか割り振られていないので、誰がどの情報にアクセスしたのか判断が出来ません。
不法に情報を取得しても残念ながら追跡できないのが現在の仕組みです。
驚くことには、1社にひとつのID・パスワードでアクセスし、同時に同じID・パスワードで他人がアクセス可能。
警告も何も無しに繋がってしまうのが現状です。



情報漏洩が心配だからといって情報公開を控えるのではなく、不正取得が出来ないような仕組みをしっかり作って適正に情報を公開することがこれからの業界発展のためにも大事なことのような気がします。



日本の不動産業界もそろそろ大きく方向転換するべき時代が来たとあらためて感じた一日でした。



2007年2月13日火曜日

静かな三連休

大型連休になると普通の土日より、電話の鳴る数やお客様のご案内は少なくなります。
やはり三連休以上になると旅に出たりいろいろと計画があり、家探しは他の日に!ということになるのでしょうか?



私にとっては静かな三連休となったことで溜まった事務処理が一気に片付き有り難かったのですが、会社の営利面を考えると困った現象です。



これが業界全体的な傾向なのか?地域的問題なのか?当社だけの問題なのか?しっかり見極めておかないと・・・



2007年2月12日月曜日

電話が鳴らない

不動産の賃貸業界は昨年からちょっと流れがおかしくなり、今までは例年繁忙期と言われてきたこの時期(2月~4月)が忙しくありません。



駅前のいつも忙しい優良店にも何ヶ所か話しを聞いたのですが、どうやらこの傾向は当社だけではなく全体的な傾向のように見えます。



いろいろな意味で業界全体が変化していく時期なのでしょう。
存続のための生き残りは大手も中小零細も、戦いの規模は違っても意味合いは同じようです。



椅子取りゲームは不動産業界だけではなく、しかも大手でも中小零細でも差別なく進行中????です。





2007年2月11日日曜日

経営者の経営責任

このところ当社の周辺がざわついています。



永年地場密着でやってきた古株の不動産会社の廃業が決まったからなのですが、その話しを知ったアパートオーナーの方々が連日何人も当社にやってきます。



昔ながらのやり方と現代風な当社のやり方にはかなり違いもあり、全ての顧客に対応できる訳ではなく、経営方針をご理解いただけない方々には申し訳ないのですがお互いのためにお断りするしかありません。



廃業が決まった当の不動産会社も(会社といっても個人経営個人免許なので一代限りで引き継ぎは出来ません)事業を引き継ぎたいという人と、このまま廃業すべきとする人との内紛があり、昔からの顧客もどっちの話しを聞いて良いのか悩んでいる様子が判ります。



夕方5時から約2時間、仕事を続けていきたいと考えている人との話し合いをしたのですが、廃業に際し突然のことで自分の身を何処に置いたらよいか判断できずに迷走しているのが見て取れます。



廃業に向けて決意を決めた方は一日も早く顧客に廃業を伝え、混乱の無いようにということで積極的に動き回っています。
この動きが社員二人を敵対関係にしてしまい、女性二人なのですが大奥の様相を呈しています。



開業するときよりも撤退・廃業する時の方が大変だし労力も使います。
外から見ていて思ったことは、会社の経営責任者は社員も含めて周りの人達が混乱しないよう自分がどうするかはっきりと明言する責任があることをあらためて感じています。



今回の問題は経営責任者がはっきりと方向性を示さなかったために、周囲の人達が個人の思惑で動いてしまったが為の混乱でした。



私も病院に出向いて経営者本人と話しをしてきたのですが、高齢でもあり病気の影響もあり本人の考えや方向性が定まっていません。
そんな訳で経営者の身内の方々が廃業を決めたのでした。



宅建協会の中で私が担当していた会員さんだけに知らん振りも出来ず、混乱の渦中に当社も巻き込まれた感があり、しばらくの間いろいろと問題が起きそうです。







2007年2月10日土曜日

各委員会開催と義父二度目の入院

昨日に続き今日も11時から組織委員会開催、昨日同様今年度の事業執行についての精査と次年度の事業計画&予算策定の会議です。



12時からは企画事業委員会と福祉住宅あっせん事業委員会の合同委員会が開催されました。
企画事業委員会が行っている地価調査の作業を例年手伝っている福祉住宅あっせん事業委員会との関連性から合同にて開催されました。
最初に地価図作成のための話し合いがもたれ、その後各委員会ごとに別れて次年度予算の検討に入りました。



ここまでの委員会が終了して事務所に戻ったのが午後の2時。
ここ何日かの間に貯まった事務処理をこなし、夕方6時には日本橋にて物件引き渡し。



戻って午後7時半から同じ宅建練馬区支部の仲間と中村橋にある中村ゴルフにて練習をし、家に戻ってゆっくりビールでも飲もうかと思った矢先に家内の実家から電話で父が体調を崩し救急車を呼んだとの一報。



家に荷物を下ろし、とりあえず家内の実家に駆けつけると救急車の真っ赤な赤色灯が実家の前でくるりくるりと回っており、何とか間に合った。



緊急を要するような状態ではなかったので、救急隊員とどの病院に行くか?の話し合いがあり、いくつか候補に上がった病院はいろいろな問題から拒否。
結局僕が昨年椎間板ヘルニアでお世話になり、つい最近新しい建物に移転した練馬総合病院に向かう事になりました。



新しい病院は建物が新しいだけではなく、検査機器も最新の物が揃っているので検査の正確性とスピードが信じられないほど早く、従来だと夜の夜中に運ばれ、しかも三次救急では無い患者の検査は翌日に回されるのですが、血液検査から尿検査、CTによる患部の映像診断が瞬時に行われ、救命救急で運ばれてから約2時間ほどで体調が悪化した原因が判明しました。



病名は「総胆管結石」&「胆嚢結石」。
そのまま放置すると結石が胆汁の流れを堰き止め、体中が毒素に犯されて死に至る程怖い病気でした。



そのような訳で緊急入院。
週明けから更に詳しい検査が行われ、その後総胆管結石の除去手術が行われ、回復を待って二度目の手術で胆嚢にあるかなりの数の胆石を除去することになりそうです。



しかし、つい先日移転したばかりの新病棟に入り、優秀な医師と最新技術の医療機器に助けられて検査から手術まで受けられるのは幸運と言っても良いかもしれません。



練馬区には少し前、高野台駅前に順天堂大学病院が出来上がり、地域医療に大きく貢献することが期待されたのですが、人気が故に病床に空きが無く、急患でもよっぽどのコネクションと金銭的ゆとりがないと入院出来ないようです。



練馬総合病院は僕自身旧病棟ではあったのですが椎間板ヘルニアでお世話になり、今回は義父がもっともっとお世話になる病院。
地域医療に積極的に取り組み、小さいながらも(小さいとは言っても200床)頑張っている練馬総合病院にエールを送りたいと思います。



2007年2月9日金曜日

年度末に向けて準備開始

この時期になると年度末総会に向けて、事業執行報告と次年度事業計画及び予算策定の会議が始まります。



今日は支部理事会が開催される日なので、この日に会わせて各委員会が予算委員会を開催しました。



朝10時の指導研修委員会から始まり、1時間刻みで11時からは自主規制委員会、昼食後執行部による空いた時間を利用した次年度構想の激論が戦わされ、3時から厚生委員会、3時半から共済会運営委員会、4時から広報委員会と、五つの予算委員会が開催されました。



5時からは理事会に備えた執行部会が催され、午後6時からは場所を練馬区支部会議室から練馬区役所20階の交流会場に移して第11回理事会の開催です。



Photo_37 理事会終了後、7時半から相談委員会も開催されたのですが、この委員会は欠席させていただき、ホテルカデンツァ光が丘で7時から開催されている高橋かずみ都議会議員のパーティーに出席。



開始後約1時間が経過した頃に到着したのでそろそろ乾杯というタイミングでした。
その後当支部の中坂支部長が挨拶をする機会もあり、それが終わってからホテルカデンツァをあとにし、やっと怒濤の一日が終了しました。



残る委員会は明日の企画事業委員会・福祉住宅あっせん事業委員会、週明けの財務委員会、週中の情報流通委員会、週末の総務委員会で全ての予算委員会が終了します。



2007年2月8日木曜日

雪が無い

Photo_35昨晩草津の老舗旅館に宿泊し、顧客向けに努力した接客業を学んだ帰り、軽井沢によって帰ることにしました。



途中は鬼押出し園から浅間山の横を通っていくのですが何か様子が違う。
2月上旬の景色ではなく、4月頃の景色。



残雪はある物の、とにかく雪がない。
草津の天狗山スキー場も降雪機で雪を降らせ営業、軽井沢は例年降雪機だと思うのでそれほど影響は無いかも知れませんが、とにかく雪が無くスキー場は大変な努力をしたことでしょう。



これから毎年暖冬傾向は続くようで、スキー業界も冬の時代?(おかしな表現だなと自分も思うが)冬にしかできないスキーが冬に出来ない時代?



千葉県に三井グループが莫大な費用を掛けて作った「スキードーム・ザウス」。
客足が延びず結局閉鎖となったが、時が今ならば満員御礼で行列が出来るスキー場になったかも知れません