大型連休になると普通の土日より、電話の鳴る数やお客様のご案内は少なくなります。
やはり三連休以上になると旅に出たりいろいろと計画があり、家探しは他の日に!ということになるのでしょうか?
私にとっては静かな三連休となったことで溜まった事務処理が一気に片付き有り難かったのですが、会社の営利面を考えると困った現象です。
これが業界全体的な傾向なのか?地域的問題なのか?当社だけの問題なのか?しっかり見極めておかないと・・・
大型連休になると普通の土日より、電話の鳴る数やお客様のご案内は少なくなります。
やはり三連休以上になると旅に出たりいろいろと計画があり、家探しは他の日に!ということになるのでしょうか?
私にとっては静かな三連休となったことで溜まった事務処理が一気に片付き有り難かったのですが、会社の営利面を考えると困った現象です。
これが業界全体的な傾向なのか?地域的問題なのか?当社だけの問題なのか?しっかり見極めておかないと・・・
不動産の賃貸業界は昨年からちょっと流れがおかしくなり、今までは例年繁忙期と言われてきたこの時期(2月~4月)が忙しくありません。
駅前のいつも忙しい優良店にも何ヶ所か話しを聞いたのですが、どうやらこの傾向は当社だけではなく全体的な傾向のように見えます。
いろいろな意味で業界全体が変化していく時期なのでしょう。
存続のための生き残りは大手も中小零細も、戦いの規模は違っても意味合いは同じようです。
椅子取りゲームは不動産業界だけではなく、しかも大手でも中小零細でも差別なく進行中????です。
このところ当社の周辺がざわついています。
永年地場密着でやってきた古株の不動産会社の廃業が決まったからなのですが、その話しを知ったアパートオーナーの方々が連日何人も当社にやってきます。
昔ながらのやり方と現代風な当社のやり方にはかなり違いもあり、全ての顧客に対応できる訳ではなく、経営方針をご理解いただけない方々には申し訳ないのですがお互いのためにお断りするしかありません。
廃業が決まった当の不動産会社も(会社といっても個人経営個人免許なので一代限りで引き継ぎは出来ません)事業を引き継ぎたいという人と、このまま廃業すべきとする人との内紛があり、昔からの顧客もどっちの話しを聞いて良いのか悩んでいる様子が判ります。
夕方5時から約2時間、仕事を続けていきたいと考えている人との話し合いをしたのですが、廃業に際し突然のことで自分の身を何処に置いたらよいか判断できずに迷走しているのが見て取れます。
廃業に向けて決意を決めた方は一日も早く顧客に廃業を伝え、混乱の無いようにということで積極的に動き回っています。
この動きが社員二人を敵対関係にしてしまい、女性二人なのですが大奥の様相を呈しています。
開業するときよりも撤退・廃業する時の方が大変だし労力も使います。
外から見ていて思ったことは、会社の経営責任者は社員も含めて周りの人達が混乱しないよう自分がどうするかはっきりと明言する責任があることをあらためて感じています。
今回の問題は経営責任者がはっきりと方向性を示さなかったために、周囲の人達が個人の思惑で動いてしまったが為の混乱でした。
私も病院に出向いて経営者本人と話しをしてきたのですが、高齢でもあり病気の影響もあり本人の考えや方向性が定まっていません。
そんな訳で経営者の身内の方々が廃業を決めたのでした。
宅建協会の中で私が担当していた会員さんだけに知らん振りも出来ず、混乱の渦中に当社も巻き込まれた感があり、しばらくの間いろいろと問題が起きそうです。
昨日に続き今日も11時から組織委員会開催、昨日同様今年度の事業執行についての精査と次年度の事業計画&予算策定の会議です。
12時からは企画事業委員会と福祉住宅あっせん事業委員会の合同委員会が開催されました。
企画事業委員会が行っている地価調査の作業を例年手伝っている福祉住宅あっせん事業委員会との関連性から合同にて開催されました。
最初に地価図作成のための話し合いがもたれ、その後各委員会ごとに別れて次年度予算の検討に入りました。
ここまでの委員会が終了して事務所に戻ったのが午後の2時。
ここ何日かの間に貯まった事務処理をこなし、夕方6時には日本橋にて物件引き渡し。
戻って午後7時半から同じ宅建練馬区支部の仲間と中村橋にある中村ゴルフにて練習をし、家に戻ってゆっくりビールでも飲もうかと思った矢先に家内の実家から電話で父が体調を崩し救急車を呼んだとの一報。
家に荷物を下ろし、とりあえず家内の実家に駆けつけると救急車の真っ赤な赤色灯が実家の前でくるりくるりと回っており、何とか間に合った。
緊急を要するような状態ではなかったので、救急隊員とどの病院に行くか?の話し合いがあり、いくつか候補に上がった病院はいろいろな問題から拒否。
結局僕が昨年椎間板ヘルニアでお世話になり、つい最近新しい建物に移転した練馬総合病院に向かう事になりました。
新しい病院は建物が新しいだけではなく、検査機器も最新の物が揃っているので検査の正確性とスピードが信じられないほど早く、従来だと夜の夜中に運ばれ、しかも三次救急では無い患者の検査は翌日に回されるのですが、血液検査から尿検査、CTによる患部の映像診断が瞬時に行われ、救命救急で運ばれてから約2時間ほどで体調が悪化した原因が判明しました。
病名は「総胆管結石」&「胆嚢結石」。
そのまま放置すると結石が胆汁の流れを堰き止め、体中が毒素に犯されて死に至る程怖い病気でした。
そのような訳で緊急入院。
週明けから更に詳しい検査が行われ、その後総胆管結石の除去手術が行われ、回復を待って二度目の手術で胆嚢にあるかなりの数の胆石を除去することになりそうです。
しかし、つい先日移転したばかりの新病棟に入り、優秀な医師と最新技術の医療機器に助けられて検査から手術まで受けられるのは幸運と言っても良いかもしれません。
練馬区には少し前、高野台駅前に順天堂大学病院が出来上がり、地域医療に大きく貢献することが期待されたのですが、人気が故に病床に空きが無く、急患でもよっぽどのコネクションと金銭的ゆとりがないと入院出来ないようです。
練馬総合病院は僕自身旧病棟ではあったのですが椎間板ヘルニアでお世話になり、今回は義父がもっともっとお世話になる病院。
地域医療に積極的に取り組み、小さいながらも(小さいとは言っても200床)頑張っている練馬総合病院にエールを送りたいと思います。
この時期になると年度末総会に向けて、事業執行報告と次年度事業計画及び予算策定の会議が始まります。
今日は支部理事会が開催される日なので、この日に会わせて各委員会が予算委員会を開催しました。
朝10時の指導研修委員会から始まり、1時間刻みで11時からは自主規制委員会、昼食後執行部による空いた時間を利用した次年度構想の激論が戦わされ、3時から厚生委員会、3時半から共済会運営委員会、4時から広報委員会と、五つの予算委員会が開催されました。
5時からは理事会に備えた執行部会が催され、午後6時からは場所を練馬区支部会議室から練馬区役所20階の交流会場に移して第11回理事会の開催です。
理事会終了後、7時半から相談委員会も開催されたのですが、この委員会は欠席させていただき、ホテルカデンツァ光が丘で7時から開催されている高橋かずみ都議会議員のパーティーに出席。
開始後約1時間が経過した頃に到着したのでそろそろ乾杯というタイミングでした。
その後当支部の中坂支部長が挨拶をする機会もあり、それが終わってからホテルカデンツァをあとにし、やっと怒濤の一日が終了しました。
残る委員会は明日の企画事業委員会・福祉住宅あっせん事業委員会、週明けの財務委員会、週中の情報流通委員会、週末の総務委員会で全ての予算委員会が終了します。
昨晩草津の老舗旅館に宿泊し、顧客向けに努力した接客業を学んだ帰り、軽井沢によって帰ることにしました。
途中は鬼押出し園から浅間山の横を通っていくのですが何か様子が違う。
2月上旬の景色ではなく、4月頃の景色。
残雪はある物の、とにかく雪がない。
草津の天狗山スキー場も降雪機で雪を降らせ営業、軽井沢は例年降雪機だと思うのでそれほど影響は無いかも知れませんが、とにかく雪が無くスキー場は大変な努力をしたことでしょう。
これから毎年暖冬傾向は続くようで、スキー業界も冬の時代?(おかしな表現だなと自分も思うが)冬にしかできないスキーが冬に出来ない時代?
千葉県に三井グループが莫大な費用を掛けて作った「スキードーム・ザウス」。
客足が延びず結局閉鎖となったが、時が今ならば満員御礼で行列が出来るスキー場になったかも知れません
日本一の名湯「草津」
その象徴は温泉街の中心にある湯量豊富な湯畑でしょう。
草津温泉には旅館組合の決まりがあり、一時騒ぎになった長野方面の名湯とはひと味違って「湯の循環装置の設置禁止」・「沸かし直し禁止」など、源泉に手を加えることを禁止しています。
つまり、湧き出した「そのままの源泉を堪能してください」ということです。
唯一許されてるのは「加水」。
草津の湯は非常に高温なため、温度を冷ますための加水のみ許されています。
日本一の名湯は自然の恵みが前提ではある物の、本物の本物たる本質を大事にしていました。
久しぶりに泊まってビックリしたのは、昔からの老舗旅館が老舗ののれんに胡座をかかず、積極的に顧客満足度アップにチャレンジしていたことです。
バブル崩壊以降、昔はさしたる努力無くして湯畑の真ん前の老舗旅館ということだけで予約を断るほど人達が訪れたであろうこの老舗旅館。
宿泊料金もさることながら、フロントから仲居さんまでキッチリとした接客をこなし、料理もそれなりの食材ながら見せ方出し方にいろいろ工夫がなされていました。
これも大箱、大きな宿にしか出来ない数の原理かも知れないですが、おそらく外部のコンサルタントを頼み、何処が弱点で何処が長所か徹底的に研究した結果いまのスタイルになったのだろうと勝手に解釈しています。
自らが第三者の目で自分を評価するのは難しいことで、第三者の目で見てもらい、顧客の視線で何が良いかを考える。
我々不動産業界にもこれから必要なヒントが温泉旅館の中から見えてきます。
旅館業界はかなり厳しい生き残り競争の中でヒントをつかんで来たのでしょうが、不動産業界の本当の勝負はまだまだこれからかも知れませんね。