2011年6月12日日曜日

更新料の是非に関する考察

DSC_0011_edited-1 賃貸の取引においては何かと是非が問われてきました。


何と言っても1921年に初めて制定された借地法は、戦争を背景にした住宅難から借り主を守るためにできあがりました。


その後、度重なる改正を行い、現在の借地借家法へと変わっていきますが、基本的な考え方としては弱い立場の借り主を住宅難から保護するという基本姿勢は変わらずにきています。


しかしバブル崩壊以降、貸し主の立場と借り主の立場が逆転し、現在に至っては完全な借り手思考へと変わってしまいました。


ただでさえ家あまり状態のところに持ってきて、消費者保護法等ができ、お金を払う消費者側を徹底して守るという法制度になりました。


こうなってくると、「今まで何か言うと家を貸してもらえないのではないか?」・「住むところが無くなってしまうのではないか?」と不安を抱いていた人々の『不安要素』が無くなります。


不安が無くなると、人間我慢をしなくなり、法的な取り決めがない「礼金」・「更新料」がそのやり玉にあがり、あちこちで裁判が提訴されるようになりました。


今朝の朝日新聞にも「マンションの更新料を巡り最高裁で弁論」という記事が掲載されていましたが、私の基本的な考え方としては、最初の契約ごとで決めたことはお互い納得した上で決めた契約なので、途中から「更新料は法的根拠が無いから払わない」という理論がまかり通ってしまったら、そもそも契約という行為自体の意味が無くなってしまいます。


消費者を守ると言うことは、不当な行為から守ることであり、決めたことまで反故にするのは守るのではなく過保護・甘やかしのように感じられます。


商行為はお互いの同意によって成立するものであり、更新料や礼金が消費者にとって不当な金銭であるという判例を出すのであれば、それと同時に礼金や更新料の受領を禁止する法制度を決めなければ、何か矛盾を感じる次第です。


代金後払いで物を買い、支払いの際に高いから払わないというのと同じように思えてしまいます。


商取引はお互い対等であるべきで、悪徳商法から消費者を守る法律があるのであれば、悪質な入居者から貸し主を守る法律があってもよいのではないか?と、借り手市場となってしまった昨今の大家さんを見ていると、つくずく感じる次第です。



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