2011年7月2日土曜日

景況感マイナスに転落、その一方で路線価に底打ち感??

日銀短観201107 日銀が1日に発表した6月短観は東日本大震災の影響もあり、5四半期ぶりというから一年と3ヶ月ぶりにマイナスとなった。


もっともこの日銀短観は大企業の景況感が大きく反映され、我々庶民の感じている景気動向とはちょっと乖離があるようだ。


今までの過去5四半期も、我々庶民感覚では景気が上向いているとは感じられていない。
そこへ来て東日本大震災の発生で益々景気の先行きは不安になってくるのだが・・・・


日銀短観での3ヶ月後の見通しは「プラス」というから不思議な感じがする。


日銀短観201107 その一方で同じ新聞の同じ一面には「路線価大都市圏で底打ち感」という見出しの記事も出ていました。
もっとも調査は今年1月1日時点でのものですので、東日本大震災の影響は全く加味されていません。


おそらく7月1日時点の地価動向を発表する「基準地価」の時点では、かなり厳しい結果が発表されるのではないかと心配しております。



2011年6月29日水曜日

麹町ゴルフ倶楽部

全宅連・全宅保証の総会も無事終了し、その後の懇親会も終わって帰路に着いた時。


来た時も同じルートで歩いた時は気がつかなかった「麹町ゴルフ倶楽部」が妙に気になりました。


麹町ゴルフ倶楽部 
最近流行っているシュミレーションゴルフ場のようだが、都心部では名門コースさながらのシュミレーションゴルフが有るようです。


一度は行って見ようと思いつつ、まだ一度も経験したことのないシュミレーションゴルフですが、「ゴルフで遊ぶ」と考えると都会派の人間にとっては憩いの空間であると共に、練習場代わりになるのかも知れません。


丸山茂樹が看板になっていると言うことは・・・・?
マルちゃんが影の経営者ですか?



第39回全宅保証&第45回全宅連通常総会

千代田区紀尾井町のホテルニューオータニに於いて、午後1:20からは全宅保証(正式名称:社団法人全国宅地建物取引業保証協会)の第39回通常総会が開催されました。


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その後、午後15:50からは全宅連(正式名称:社団法人全国宅地建物取引業協会連合会)の第45回通常総会が開催されました。


全国組織ですので、日本各地から関係役員が集結する我々の業界団体にとっては一年で一番大事な大会です。


全宅保証の総会ではそれ程深刻な問題となる質問は有りませんでしたが、全宅連の方では企業分野調整法に関する対応の質問が出たり、私が昔から取り上げていたアメリカ的システム、一業種一団体問題、仲介手数料の両手禁止問題についての質問が出たり、かなり現場での矛盾を早く解決して欲しいという願いが籠もった質問が続きました。


全国組織はそれなりに影響力も多く、業界団体の立場ではなく、業界団体を構成する会員各位が矛盾を感じ無くてすむ仕組み作りを、官民挙げて構築していただきたいと思っております。


そしてもっとも興味深かったのは、物件情報発信のための仕組みについての質問が一人ではなく複数の方から出たことです。


東京都では「ハトマークネット」、全国では「ハトマークサイト」という、協会独自の不動産情報ポータルサイトが存在しますが、全国では全会員に対する利用率が約10%という指摘がありました。


何でこんな事になるかというと、質問をされた方からこんな指摘がありました。
「***エリア 不動産」とキーワード検索しても、ハトマークサイトは全く検索に引っかからない!これではユーザーから認知されないので何とかして欲しい!」


東京都ではこの議論が何度も繰り返され、そして全国との繋がりを重視するが為に、独自路線を断念し、辛い思いを繰り返して今日に至ってきた過去があります。


しかし・・・・・


東京では伝統と格式を守りつつ、全く新しい発想での情報発信システムを構築すべく、目下スタッフ全員が最終の仕様確定に向けて日々熱い議論を戦わせ、今年中には今までになかった画期的なシステムがリリース出来そうなところまでやっと辿り着きました。


このままでは駄目だ!と思っている人達は日本全国に存在していました。
この熱い気持ちが纏まって合体出来れば凄いパワーになるのですが・・・・・・・・・・・


東京だけでなく、各県それぞれに不動産ポータルについては過去の歴史が多々あり、これを全国統一で集約するには、かなり強烈なリーダーシップが無ければ実現は難しいでしょう。


総会が終了し、ホテル内で会場を移動して18:30から懇親会が開催されました。
全国から役員が集まっているだけに、各党からは党首の面々が駆けつけて挨拶をされたいましたが、民主は党首及び執行部は不参加でした。


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もっとも、もし出席したら、「こんな大事な時にもっと他にやることがあるだろう!」とヤジが飛んだかも知れません。


今日は全宅保証と全宅連の総会でしたが、明日は全政連(正式名称:全国不動産政治連盟)と賃管協(正式名称:一般社団法人全国賃貸不動産管理業協)の総会が開催されます。



2011年6月26日日曜日

無印良品の家

無印の家 仕事で通りかかったある街角、何となくしっくり来るような!


でも何で無印?


とってもシンプルでモダンリビングな家?


何となく贅を廃してシンプルでお洒落な家をイメージさせる光景でした。



またしても練馬が・・・・

練馬の高温 今朝の朝日新聞を見ていたら、29面東京版に「練馬で34.3℃」の見出しが目に付きました。


熱くなると必ずと言って良い程、「館林」・「前橋」・「熊谷」等と共に「練馬」の名前が取り上げられます。


昨年の話ですが、あるお客様が家を購入しようとした際、大江戸線や副都心線・有楽町線などが乗り入れている西武池袋線練馬駅周辺がとても便が良いのでお勧めしたところ、「練馬は熱いので候補から外して下さい」と言われガックリきたことがあります。


何で練馬が熱いのか?


たまたま練馬区役所関係者の方とご一緒する機会があり、「何で練馬は熱いのか?」聞いてみたことがあります。


本当かどうか?裏付けを取った訳ではないですが妙に理解しやすい回答が帰ってきました。


東京都内は殆どがコンクリート、ヒートアイランド現象で暖められた空気が海風に乗り、湾岸エリアから流れてきます。


この熱風が都心方面か流れてきて、北の方へ持って行かれるのが、東京を取り巻く環状七号線です。


そして気象庁が温度を測る観測点は東京都内に10ヶ所ありますが、区部では「羽田」・「新木場」・「東京」・「世田谷」そして「練馬」の5ヶ所です。


練馬以外の都区部ではヒートアイランド化して熱せられた風は海風に乗って流れ、空気の流れは練馬周辺で環状七号線に沿って北へ向かい、ここで一旦貯まります。


その合流点練馬の観測地点は環七のすぐ脇、武蔵大学の校庭内にありるので、この観測地点を環七の外側に少しずらすだけで、「練馬は熱い」というイメージは無くなるのかも知れません。


それにしても、観測史上初の記録を塗り替えたこの暑さは堪えます。


台風の影響もあり、ちょっとは涼しくなるようですが、これから夏本番。


今年も昨年同様に「暑い夏」になりそうなので体力勝負?ですね!



2011年6月22日水曜日

最終段階に入った新ハトマークネット構築作業

世界ナンバーワンのクラウド企業「セールスフォース」のプラットフォームを利用し、不動産協同組合が構築作業を担当して開発が進んでいた(社)東京都宅地建物取引業協会の「仮称:新ハトマークネット」


新サイト構築委員会全員(26名+開発ベンダー複数名)でのブレインストーミングを終了し、単なる物件情報のみのポータルサイトとは一味違う、不動産業の業界団体が主導する「今まで無かったサイト構築」を目指し、ゴールデンウィーク明けから各分科会に分かれてパーツごとの要件定義・仕様確定に向けた最終調整が熱い議論を戦わせながら進んでいます。


まもなく、今まで無かった壮大なスケールの新しいコンセプトによる「新情報サイト」が生まれそうです。


サイトコンセプトはまだ証せませんが、最終段階の「産みの苦しみ」に入ったことだけご報告しておきます。


メンバー全員が真剣に取り組んでいるため、絶対に妥協しません。


結果どうなるかというと、メンバー以外の周りの人が見ていたとしたら「喧嘩しているとしか思えない」ような激しい激論を戦わす会議が行われています。


昨晩の会議も午後6時30分から始まり、激論を戦わせながら終わったのは日付が変わりそうな午後11時過ぎとなりました。


メンバー全員がより良いものを作ろうという熱い思いを込めて会議を行うので、綺麗事では終わりません。
激しい議論が交わされます。


こんなに真剣なメンバーと一緒に構築作業が出来るということ自体、とても充実感があり内側から燃えてきます。



2011年6月17日金曜日

中小企業事業分野調整法は機能しているか?

あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、「中小企業事業分野調整法」なる法律が現在も存在する。


正式名称は「中小企業の事業活動の機会の確保のための大企業者の事業活動の調整に関する法律」と言い、この法律の主旨は、大企業が中小企業の分野に裾野を広げることに一定の歯止めをかけ、中小企業の事業活動を保護して権益を守ることを目的としています。


その昔、とは言ってもそれほど昔ではないですがこの法律ができた当初、不動産業界では大手企業が仲介分野に進出し、多店舗展開を開始したあたりで、全宅連が分野調整法を元にして大手参入に待ったをかけたことが有ったようです。


その後、和解したと聞いていますが、その当時の判断は何を元に行われたのでしょうか?


この頃、昭和50年代前半以前の不動産業界ははっきりと企業ごとの職域が分かれており、財閥系・電鉄系などの大手不動産会社は「開発・分譲」、中堅不動産会社は「建売分譲や中古物件の仲介」、小さな会社は地場に根ざして「賃貸管理・賃貸仲介」と言ったようにそれぞれにはっきりと職域・分野が分かれておりました。


しかし、昭和53年頃から三井・住友・東急といった各大手不動産会社が仲介分野に進出し、沿線ごとに多店舗展開を開始しようとしていた時期でもありました。


昭和55年頃の話ですが、当時私が勤めていた中堅不動産会社に大手不動産会社からの引き抜きがあり、約一年足らずで100名近い社員が転職したということがありました。


それだけ大手は一気に職域を広げようとしていたのでしょう。


戦後まもなく開発分譲された物件がそろそろ買い換え時期、あるいは相続等での財産処分が始まった時期とも重なり、大手としても昔の顧客を取りこぼさないためには仲介の分野に足を踏み込まざるを得なかったのでしょう。


それから大分経ちますが、最近では賃貸の仲介にまで大手は裾野を広げています。


賃貸の管理に至っては古い建物が再建築される際、建築から管理まで一括借り上げで大手が根こそぎ持って行きます。


あと20~30年もしないうちに、中小零細の不動産会社は業界から姿を消してしまうかもしれません。


何事も努力と工夫無くしては繁栄無しですが、努力してもそれが報われないと「やる気」そのものが削がれてしまい、結果景気は底辺から崩れていくとになるような気がします。


「分野調整法」なる法律が存在する訳ですから、もう少し勉強しつつせっかくの法律を有効活用していきたい物です。